【禅語】掬水月在手とは|意味・由来・時期・現代語訳

掛軸の禅語
Photo by Ganapathy Kumar on Unsplash
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『mame-sadou.com』にようこそ、当ブログの管理人・表千家講師のやましたです。

この記事では、「掬水月在手」の禅語の意味・時期・現代語訳を解説しています。

「水を掬すれば月手に在り」と読み、茶道の掛軸としてよく掛けられる禅語です。

由来は唐の時代、于良史作の漢詩『春山夜月』にあり、「掬水月在手 弄花満香衣」の語で禅の世界では使われます。

この記事を読み終えることで、そんな掬水月在手とは何か、一通り知っていただけるはずです。

それでは早速見ていきましょう!

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「掬水月在手」の現代語訳

「掬水月在手」の現代語訳は、書き下し文が「水を掬すれば月手に在り」となり、以下のようになります。

「水を掬えば月が手の中にある」

各語の意味

・「掬」=掬う(すくう)

語の意味としてはそのままで、難しいものはないですね。

原典でセットになっている「弄花満香衣」の意味についても見ますと、書き下し文は「花を弄すれば香衣に満つ」となり、下のようになります。

「花を手に持って楽しめば、衣服にその香が染み着く」

各語の意味

・「弄」=弄ぶ。手に持って楽しむ

「掬水月在手」の由来

「掬水月在手」の由来は、唐の時代、于良史(うりょうし)作の漢詩『春山夜月』を原典とします。

春山多勝事 賞翫夜忘帰
掬水月在手 弄花香満衣
興来無遠近 欲去惜芳菲
南望鳴鐘処 楼台深翠微


春の山には普段出会えない
素晴らしいものが多く、
一つ一つ賞玩していると
夜になっても帰ることを
忘れてしまう。

水を掬えば月が手の中にあり、
花を手に持って楽しめば
その香が衣服に染み着く。

気分に任せて遠いも近いもなく、
花が咲き乱れるのを
惜しみに行きたい。

鐘が鳴る南の方角を見やると、
山の深い緑の中に包まれた
楼台が見える。

このように、原典の漢詩は春の情景を賛美する内容でした。

後に、この詩の「掬水月在手 弄花香満衣」の部分が、下の『虚堂録』に引かれたことから、禅語としてよく知られているのです。

僧問。有句無句。如藤倚樹。此意如何。
師云。掬水月在手。弄花香満衣。


ある僧が師に問いました。
「言葉による表現(有句)と
 無言による表現(無句)は
 木にからむ藤のようなもの
 といいますが、これは
 どういうことでしょうか?」

師は質問に対して答えました。
「水を掬えば月が手の中に在り、
 花を手に持って楽しめば、
 衣服にその香が染み着く」

まさに禅問答という受け答えですね。難しい!

このやりとりを念頭に、「掬水月在手」の意味を解説していきます。

「掬水月在手」の意味

「掬水月在手」の意味について、上の『虚堂録』の内容を基に考えていきます。

藤が絡みつく木の例えが表すこと

僧が師匠に質問したのは、「言葉による表現と無言による表現は、木にからむ藤のようなものというが、それはどういうことか?」ということでした。

言葉でも無言でも、表現というのは、何かを伝えるために使われるものです。

ですから、僧はこの表現の部分に着目して質問しているのですが、本質は表現の対象となる物事にあります。

藤が絡みつく対象の「木」が、「本質」を表しているのでしょうか

本来立っている木と、その木に絡みついている藤は、あくまで別のものです。

なので、藤が絡みつく木の例えは、言葉でも無言でも、「表現」にばかり拘っていても本質には至れないことを示しているように感じられます。

師の答え「掬水月在手 弄花香満衣」の意味

以上のことがわかりますと、師の答えの意味もつかめてきます。

質問した僧は、表面上の表現、理屈の部分にばかり注目し過ぎていました。

そんな様子を見て、師が掛けた言葉が「掬水月在手 弄花香満衣」です

水を掬えば、そのひんやりとした感触を感じ、また月が手の中の水面に揺れている。

花を手に取り遊んだ時には、いつの間にか衣服に染み付いた花の香りが感じられる。

Photo by Ganapathy Kumar on Unsplash

手の中の水に月が浮かぶのや、衣服に染み付いた花の香りに気付けるのは、あれこれ考えている時には難しく、
静かな心である時や、無垢な心である時ではないでしょうか。

そうした心でいられる時こそ”本質”との出会いがあるといっています。

「掬水月在手 弄花香満衣」は、日頃頭で考えることがどうしても多い中で、
静かな心、無垢な心でいること、そうした心でいられる時に何か大切な、本質的なことに出会えること、そんなことを教えてくれる禅語です。

「掬水月在手」の時期

「掬水月在手」が茶道の世界でよく掛けられる時期は、9月です。

10月でもよいかと思います。

「月」の語が入っていますので、月が美しいとされる季節がふさわしいですね。

原典が春を賛美した漢詩ですので、春の季節に掛けてもよいかと思いますが、その時期のお茶室に掛けられているのを見たことはありません。

まとめ

ということで、「掬水月在手」についてまとめますと、以下のようになります。

・現代語訳「水を掬えば月が手の中にある」

・静かな心、無垢な心でいること、そうした心でいられる時に本質的なことに出会えること、そんなことを教えてくれる禅語

・時期は、茶道においては9月、次いで10月に最もよく掛けられる

以上です。

この記事が、掬水月在手とは何かについて調べている皆様の、お役に立てたならば嬉しく思います!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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