【禅語】明歴々露堂々とは|意味・由来・時期・現代語訳

掛軸の禅語
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『mame-sadou.com』にようこそ、当ブログの管理人・表千家講師のやましたです。

この記事では、「明歴々露堂々」の禅語の意味・時期・現代語訳を解説しています。

「めいれきれき、ろどうどう」と読む禅語で、茶道の世界では「明歴々」だけの形でもよく掛けられます。

由来は、高名な禅僧・圜悟克勤の言動を伝える『圜悟語録』にあります。

この記事を読み終えることで、そんな明歴々露堂々とは何か、一通り知っていただけるはずです。

それでは早速見ていきましょう!

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「明歴々露堂々」の現代語訳

「明歴々露堂々」の現代語訳は、書き下し文が「歴々と明らかに、堂々と露わる」となり、以下のようになります。

「明らかにはっきりと表れている」

各語の意味

・「歴々」=一目で明らかに分かること

「明」「歴々」「堂々」と、どれも同じような意味で、はっきりと明らかなことを指す言葉です。

ですので、「明歴々露堂々」は、とても強い言葉で、「明らかにはっきりと表れている」といっているのです。

この「明歴々露堂々」をもう少し知るために、次に原典の内容を見ていきましょう。

「明歴々露堂々」の由来

「明歴々露堂々」の由来は、『圜悟語録』の以下のエピソードになります。

僧問う、
明歴々露堂々。
什麼に因りてか乾坤収め得ざる。

師曰く、
金剛手裏に八稜の棒。


(訳)
ある僧が問いました。
「真理が明らかに
はっきりと表れているのなら、
どうして理を修めることが
できないのでしょうか?」

師は答えました。
「菩薩の持つ
八角形の棒で叩かれなさい」

「明歴々露堂々」の意味

上の原典を踏まえて、「明歴々露堂々」の意味を考えていきます。

真理は確かに目の前にある

原典のエピソードは以下のようなものでした。

ある僧が尋ねた内容は、

「真理が、隠れもせず明らかに表れているのだとしたら、なぜ真理を修めることができないのか」

この質問に対する師の答えが、「菩薩に棒で叩かれなさい」。

この師の答えの内容が唐突で、理解しにくいところです!

ここで師が伝えたかったことは、真理が明らかにはっきりと表れているもの、ということは事実である。

それなのに、これを修めることができない、見えることができないのは、見る側の目が曇っているからである。

ですから、菩薩に叩いてもらい目を覚まし、もう一度しっかり見なさい、と伝えたのです。

Photo by Lukas Robertson on Unsplash

目の前の大切なものを見ることができるか?

「明歴々露堂々」のお軸を見る際には、以上の原典の内容を受けて読み取れば良いと思います。

例えば、「真理」を「大切なもの」と読み替えると、以下のように読めます。

「大切なものは確かに目の前にあるが、それに自分は気付けているだろうか?」

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何か問題が起きた時には、解決策を外に探し求めるものですが、

もしかしたら自分の中に答えを探すべきこともあるかもしれませんし、

また、家族や友人、尊敬できる人など、周りにいる人たちの存在というものが答えなのかもしれません。

禅語というものは、その時、その人によって読み取り方が変わって良いものと思います。

「明歴々露堂々」、みなさまはどのように読まれるでしょうか?

「明歴々露堂々」の時期

「明歴々露堂々」を掛ける時期は、特に限定されません。

ですが、季節と関連させるとすれば、月が明るくはっきりと表れるお月見の頃や、雪が全てを覆い隠す真冬の時期などに使うのも良いかと思います。

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まとめ

ということで、「明歴々露堂々」についてまとめますと、以下のようになります。

・現代語訳「明らかにはっきりと表れている」

・目の前にある大切なものに、曇りのない目で気づくことができるか、問いかける意味の禅語

・時期は特に限定されない

以上です。

この記事が、「明歴々露堂々」について調べているみなさまの、お役に立てたならば嬉しく思います!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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