『mame-sadou.com』にようこそ、表千家流の茶道講師・やましたです!
「清流無間断」の禅語の意味・由来・時期について解説しました。
お茶席でよく掛けられる禅語なので、茶道をしている方は目にしたこともあるのではないでしょうか。
由来は『普燈録』という禅書にあり、「清流無間断 碧樹不曾凋」の語句で書かれています。
この記事を読み終えることで、そんな「清流無間断」とは何か、一通り知っていただけるはずです。
それでは早速見ていきましょう!
「清流無間断」の現代語訳
「清流無間断」の現代語訳は、書き下し文が「清流に間断無し」となり、以下のようになります。
「澄んだ川の水は絶え間なく流れている」
・「清流」=澄んだ水の流れ(特に川のこと)
・「無」=無い
・「間断」=物事が途切れること
原典でセットになっている「碧樹不曾凋」の意味についても見ますと、書き下し文は「碧樹曾て凋まず」となり、下のようになります。
「常緑樹は枯れてしまうことが無い」
・「碧樹」=常緑樹
・「曾」=かつて
・「凋」=しぼむ、衰える
「清流無間断」の由来
「清流無間断」の由来は禅の書物、『普燈録』を原典とします。悟りに至った高僧の問答です。
問。如何是廣德境。
曰。清流無間断。碧樹不曾凋。
「徳の広い境地とはどういったものか?」
との問いがあり、
「澄んだ川の水は絶え間なく流れている。
また、常緑樹は枯れてしまうことが無い」
と答えました。
「徳」というのは、「善い行いを行う、身についた道徳性」などを指します。
原典は禅の世界の話ですので、悟りに至るための修行にどういった心構えが大切か、を問うていると考えればよいかと思います。
「清流無間断」の意味
「清流無間断」の意味は、「絶え間ない修行の大切さ」また「仏教の教えが現代まで伝わって来たこと」を伝えるものです。
絶え間ない修行の大切さ
「清流無間断」の意味は、上の原典の内容そのままでは、絶え間なく修行に向き合う大切さを伝えるところにあります。
水が流れるように、常緑樹が緑を絶やさないように、常に気を緩めず修行生活を過ごすことが、悟りに至るために大切なことといいます。
お茶席で意味をとる際には、もちろん、「修行」と限定せず、何にでも当てはめて読み取ればよいでしょう
また、仏教の世界では、さらに広く下のように解釈する場合もあります。
教えが現在まで伝わって来たこと
「清流無間断」は、水が流れるように、常緑樹が緑を絶やさないように、仏教の教えが現在まで伝わってきたことを表す意味としても使われます。
仏教の教えは、そのものが体験することが大切なので、書物だけに頼ることができません。
(例えば、悟りの境地はどういうものか、いくら字で表現しても伝えることはできません)
そんな中で、師から弟子へと伝わることを重ね、現在まで伝わってきました。
そのことを表す言葉として、「清流無間断」が使われることがよくあります。
お茶席の掛軸として意味をとる際には、こちらも当然「仏教の教え」と限定せず、なんにでも当てはめて読み取ればよいでしょう
茶道における「清流無間断」
茶道表千家の15代・猶有斎宗匠が、家元を継承する際に掲げられた言葉が「清流無間断」でした。
家元になったからといって特別なことを思うのでなく、「これまで通り行うべきことを行い、日々のお茶の生活を重ねていく」ということをこの禅語で表されていました。
「絶え間なく続けていくこと」「教えを引き継いでいくこと」という原典の意味を汲み取った、ぴったりの使われ方ですね
茶道をしている者にとっても、生活にもいろいろな時期があるものですが、そんな時でもできる形で続けることの大切さ。
また、茶道の教えが自分のところまで伝わる尊さ、後に続く世代にまで伝えていくこと。
茶道でなくても、命というものも、絶えることが無いことで自分や、後の世代にまで続いてきたこと。
「清流無間断」は、そんなことも考えさせられる禅語です。
「清流無間断」の時期
「清流無間断」の時期は、茶道では5月〜8月頃の、夏の時期に掛けられることが多いです。
清流の涼しげな印象のためですが、この禅語の意味に合致するタイミングで別の時期に掛けてもよいはずです。
まとめ
ということで、禅語「清流無間断」についてまとめますと、以下のようになります。
・現代語訳「澄んだ川の水は絶え間なく流れている」
・意味は「絶え間ない修行の大切さ」「教えが伝わって来たさま」を表す
・時期は、5月〜8月頃によく掛けられる
以上です。
この記事が、清流無間断とは何か、調べているみなさまのお役に立ったならば嬉しく思います!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!