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禅語「松無古今色」の意味・解釈を、わかりやすく解説した記事です。
「松無古今色」は本来、「竹有上下節」と対句を含めての禅語ですので、その点から説明しています。
茶道をしている方には、掛軸の言葉としてもお馴染みの禅語ではないでしょうか。
この記事を読み終えることで、そんな禅語・松無古今色とは何か、一通り知っていただけるはずです!
では早速見ていきましょう!
松無古今色 竹有上下節
お軸としては「松無古今色」だけで書かれていることが多いですが、
「松無古今色 竹有上下節」
(松に古今の色なし 竹に上下の節有り)
と、本来は対句を含めての禅語となります。
(原典では竹の句が先で松の句が後となっていましたが、伝わるうちに入れ替わったようです)
「色」は「変化」の意味なので、そのまま訳すと、
「松の緑は時が経ても変化することがない」
「竹には節により上下の違いがある」
となります。
「松」と「竹」との捉え方
一つよく知られる解釈として、
・松の緑の不変は「平等」
・竹の節のあることは「差別」
を対比する形で表しており、
つまり、
この禅語の教えることとは、
そのどちらかに偏るのでなく、
(例えば、なんらかの平等の権利を主張することに偏りすぎるのでなく、親子や老若の違いを受け入れることなど)
どちらの側面も自然としてあるものだから、
平等でありながら同時に違いが存在することを認める見解こそが真理である
ということを表しているのだ、という解釈です。
竹の「差別」(「違い」)はよいと思うのですが、松の「平等」という捉え方は違和感があり、私は以下のような解釈をしています
松には変化がないのか?
「松無古今色」は、松の緑は不変であるといいます。
しかし、松の緑には本当に変化がないのでしょうか?
一見変化がないように見える松の葉は、
本当にずっとそのまま彫刻のように変化がないわけではありません。
松の緑は、
ある時期には古い葉を落とし、
新たな葉を生み、
そしてその葉が成長していきます。
この繰り返しによって新鮮な緑を保っています。
松の不変の裏には、こうした絶え間ない変化があります。
また、
節によって別れているように見える竹についても、
生命が芽生えた時には同じものであり、
また、
現在においても、
同じところから養分を吸っています。
一見上下の違いがありますが、その裏にはなんの違いもありません。
松と竹とに表される、
・「不変」と「変化」が同時に存在すること
・「違い」と「平等」が同時に存在すること
これは、生命の姿そのものではないでしょうか。
まとめ
ということで、まとめますと、
・訳すると「松の緑は時が経ても変化することがない。竹には節により上下の違いがある」
・松は「不変」と「変化」が同時に存在することを表す
・竹は「違い」と「平等」が同時に存在することを表す
松も、竹も、私も、あなたも、
ある細胞がこの瞬間に死に、また新たな細胞が生まれてきます。
すべて生命は、みんな違って、みんな同じ。
以上、「松無古今色 竹有上下節」の禅語でした。
人生や人間関係に当てはめても読める禅語ですね
茶道をやる中で、その時々にいろいろな禅語に出会ってきました。
人生のその時々、特に苦しい時辛い時ほど、なにか気づきをくれ、少し楽にしてくれたり。
そんな禅語を、これからも少しずつ紹介していけたらと思います。