萩焼とはー特徴・歴史・有名作家を解説します

茶道具
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当ブログにようこそ、表千家流で茶道を教えています、やましたと申します!

茶道の世界には「一楽、二萩、三唐津」という言葉があります。
茶の湯の焼き物・茶道具として「一番が楽焼、二番目が萩焼、三番目が唐津焼」という意味合いです。

萩焼というのは、それだけ茶人好みの焼き物なのです

この記事では、そんな萩焼について、その特徴・歴史と有名な作家(窯元)について解説していきます!

この記事を読み終えることで、茶道の美意識に非常に適うとされる萩焼について、一通り知っていただけるはずです。

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萩焼の特徴

萩焼とは、山口県萩市一帯で焼かれる焼き物を指します。

茶人に好まれ、茶陶を中心に製作されてきたのですが、どういった特徴があるのか、以下に見ていきましょう。

やわらかな白い色

現在はいろいろな釉薬が使われ様々な色合いも作られていますが、萩焼として多くの方がイメージするのは、やわらかな白い色合いでしょう。

この白は藁灰釉によるものです。

萩焼によく使われる土は赤っぽい枇杷色なので、釉薬のかかり具合により、白から赤っぽいピンクまで様々な色合いになります。

萩焼全体の歴史から見ると、この白が作り出されたのは比較的新しく、古いものは高麗茶碗と同様に茶系のものや枇杷色のものが多いです。

貫入の入った肌

萩焼の大きな特徴は、貫入の入った肌です。

貫入というのは、器の表面の釉に入っているヒビのことです。大きなものも、細かいものもあります。

萩焼は低温でゆっくり焼かれるため、器を焼成した時の陶土の収縮が少ないのですが、表面の釉薬は関係なく縮もうとします。

そうして土と釉薬の収縮率のズレによって、釉薬にヒビが入ったり、隙間ができたりするのが、貫入になるのです。

例えばお茶碗だと、お茶を点てるとこの貫入から水や抹茶が侵入し、使うごとに色合いが変化し、味わいが生まれます。

こうして使うごとに萩焼の器の表情が変化していくことは、「萩の七化け」と呼ばれ、茶道の世界でも愛されてきました。

ざっくりとした風合い

萩焼は、土そのものの感触が感じられるような、ざっくりとした風合いも特徴です。

これは、「大道土」と呼ばれる原材料の粘土の特徴と、また、低温でじっくり焼くことから、あまり焼き締まる(縮む)ことなく、元々の土の風合いが残るのです。

萩焼の器は、土の特徴、焼き締まらないことからでしょうか、見た目の質量の割に持ってみると軽く感じることが多いです。

変化に富んだ高台

萩焼の特徴として、変化に富んだ高台が挙げられます。

高台というのは、お茶碗などの畳につく部分・お茶碗の足に当たる部分ですね。

萩焼で使われる高台の種類としては、「割高台」「切高台」「竹の節高台」「桜高台」などあります。

萩焼は、基本的に絵付けされることがなく、造形・釉薬の掛け方・ヘラ目・刷毛目などで
形作られる・装飾されるのみの、素朴な焼き物です。

そんな中、バリエーション豊富な高台は、鑑賞する者を楽しませてくれるポイントです。

萩焼の歴史

萩焼の歴史の始まりは、1592年の文禄の役(豊臣秀吉による朝鮮出兵)まで遡ります。

茶の湯が大流行していた時代、後の萩藩の開祖・毛利輝元が、朝鮮から陶工の兄弟を連れ帰りました。

この陶工の兄弟・李勺光・李敬に御用窯を任せるようになったのが、萩焼の始まりです。

こうした歴史がありますので、元々の萩焼は、高麗茶碗に似た焼き物でした。色合いとしては、茶系や枇杷色のものです。

初代・坂高麗左衛門作とされる萩茶碗

今のように、萩焼というと「白」とイメージされるようになったのは、十代三輪休雪(在位1927年〜1967年)の功績です。

十代三輪休雪は、「休雪白」と呼ばれる、雪のようにやわらかな白の釉薬を開発しました。

それ以降、萩焼といえば「白」といわれるほどに広まりました。

11代三輪休雪作の萩茶碗

萩焼の代表的な作家・窯元

三輪休雪(三輪窯)

萩藩の御用窯も勤めてきた由緒ある窯、三輪窯の当主が代々名乗るのが「三輪休雪」の名跡です。

明治維新以後、藩の庇護を失った萩焼は、閉鎖に追い込まれる窯元が多く、衰退の危機にありました。

そんな中、十代三輪休雪が「休雪白」と呼ばれる、美しい白の釉薬による器を作り始め、全国で流行し、萩焼は再興されました。

この十代三輪休雪と、弟である十一代三輪休雪は功績が認められ、人間国宝に認定されました。
兄弟での人間国宝認定は陶芸界で初の快挙でした。

代々、新しいものを生み出すエネルギーに満ちています。

当代は13代にあたり、精力的に製作活動を続けられています。

坂高麗左衛門(坂窯)

坂高麗左衛門は、坂窯の当主が代々名乗ってきた名跡です。

坂窯は、初代が萩焼を始めた兄弟のうち弟の李敬にあたる、代々萩藩の御用窯を勤めてきた、非常に由緒ある窯です。

坂高麗左衛門の名跡は、萩藩の二代藩主から与えられて以降、初代から継承されてきました。

しかし、2004年に12代坂高麗左衛門が不慮の事故で亡くなったため、その後7年間空位となりました。

2011年に11代の四女が女性として初めて13代を継承したのですが、2014年に亡くなられました。

そのため、現在(2020年5月時点)まで空位となっていますが、13代の長男・坂悠太さんが坂窯にて作陶されています。

坂倉新兵衛

坂倉新兵衛は、坂倉新兵衛窯の当主が代々名乗ってきた名跡です。

坂倉新兵衛窯は、萩焼を始めた兄弟のうち李勺光を初代とする、歴史ある窯です。

特に十二代坂倉新兵衛は高い技術を持ち、十代三輪休雪ともに萩焼を全国に広め、萩焼の再興に寄与しました。

まとめ

ということで、萩焼についてまとめますと、

萩焼の特徴
①やわらかな白い色②貫入の入った肌③ざっくりとした風合い④変化に富んだ高台

萩焼の歴史は、後の初代藩主・毛利輝元が朝鮮から陶工を連れて帰り、始まった。

萩焼の有名な作家としては、代々名跡が継がれてきた、三輪休雪・坂高麗左衛門・坂倉新兵衛が挙げられる。

萩焼は、絵付けなどの装飾は施されず、「萩の七化け」と言われるように、使うごとに表情が変化していくところに特徴があります。

手に入れた時には同じようなお茶碗でも、何年も、何十年もかけて育っていく、そうしたところに茶人たちは惹かれてきたのでしょう。
(私もそんな萩焼が大好きです)

以上です!

この記事が、萩焼について調べているみなさまの、お役に立ったならば嬉しく思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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