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「葉々起清風」の意味、時期、原典、日本語訳を解説した記事です。
この禅語「葉々起清風」は、茶道の掛軸としてよくお茶席に掛けられています。
原典のままの「為君葉々起清風」や、「竹葉々起清風」の字で書かれていることが多いですね。
この記事を読み終えることで、葉々起清風とは何か、一通り知っていただけるはずです!
それでは早速見ていきましょう!
「葉々起清風」の現代語訳
「葉々起清風」を書き下し文にすると「葉々、清風を起こす」となり、現代語訳は下のようになります。
竹の葉がさらさらと鳴り、さわやかな風を生み送ってくれる
・「葉々」=葉が風に吹かれさらさら鳴る様子
・「起」=風などを発生させる
・「清風」=さわやかな風
「竹葉々起清風」となっても意味は同じですし、「為君」がつくと「あなたのために」と頭につけて読みます。
「葉々起清風」の時期
茶道で「葉々起清風」の掛軸がよく使われる時期は、5月〜7月くらいの夏向いた時期です。
「竹の春」は秋といわれるように、竹の葉が元気に生い茂るのは秋〜冬です。
ですが、「風」が入っている禅語はお茶席では夏に好まれますので、「葉々起清風」も同じく夏向きの時期に使われることが多いのです。
ただ、竹の葉の時期をとって秋に使うのもよいですし、後で説明する原典の意味をとってふさわしい時期に使うのも可能です
「葉々起清風」の原典
「葉々起清風」の原典は、禅の世界の書物『虚堂録』です。以下のエピソードの中に出てきます。
虚堂禅師が住んでいる所に三人の客が訪れていました。
かつて弟子や仲間だった友人です。
その三人が、遥か遠い遺跡を目指して旅立つことになりました。
当時のこと、遠くへの旅は安全の保証はないでしょうし、
年齢的にも若くはなく、また会えるとも限りません。
その最後の別れの挨拶をすませた後、
虚堂禅師は三人を門のところまで見送りに出ました。
その時、
竹の葉が涼やかな風にサラサラと鳴るのを聞き、言いました。
「為君葉々起清風」
「あなたたちのために竹の葉がさわやかな風を起こしている」
竹までもあなたたちとの別れを惜しんでいるかのよう。
別れの寂しさ、旅の安全を願う気持ち。送る者、送られる者の様々な感情が感じられる言葉です。
「葉々起清風」の意味
「葉々起清風」の意味は、言葉としてまず訳すると下のようになります。
「竹の葉がさらさらと鳴り、さわやかな風を生み送ってくれる」
さらに原典の意味を読み取ることで、さらに「葉々起清風」の禅語を深く読み取れます。
友との交流の清らかさ
原典では、友との別離の場面で、「為君葉々起清風」(あなたのために竹の葉がさわやかな風を起こしている)とありました。
この場面には、別れの清らかさ、ということが感じられます。
竹の葉が風に吹かれサラサラとなっているのを、旅立つあなたのために竹の葉が清風を起こしているのだ、とはなんとも清らかで美しいです。
お互いが相手のことを思い合いつつ、感情のままに振る舞うのでなく、さわやかに最後の別れの時を迎えています。
別れの時というのは、様々な感情が溢れてくるものです。
その言葉を全て言い表すことができないような、多くの感情が溢れることもあるでしょう
ですので、「葉々起清風」の原典のように、一つの言葉で全てが通じ合うというような別れは理想のものに感じます。
言葉をいくら紡いでも伝えきれない感情が、たった一つの言葉、もしかしたらそれさえなくても伝わる相手もいるでしょう。
それは心と心が通じ合った相手だからです。
そうした別れの瞬間を迎えるような関係を、それまでに相手と築いてこれたということなのです。
「葉々起清風」は、別れの清らかさに加え、そこに至る人との心と心で交流することについて思わされる禅語です。
このことは、お茶会やお稽古という、人との交流を主とする茶道にも大切なことに思います。
まとめ
ということで、「葉々起清風」についてまとめますと下のようになります。
・現代語訳「竹の葉がさらさらと鳴り、さわやかな風を生み送ってくれる」
・茶道の世界では5〜7月の夏向いた時期によく掛けられる
・原典は『虚堂録』で、長年の友との別れの場面で発した言葉
・「葉々起清風」には、別れの清らかなこと、さらには、人との交流の清らかなことという意味合いが含まれる
以上です。
この記事が、葉々起清風とは何か、調べている皆様のお役に立ったならば嬉しいです!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!