【禅語】薫風自南来とは|意味・時期・原典・現代語訳

掛軸の禅語
スポンサーリンク

『mame-sadou.com』にようこそ、表千家流の茶道講師・やましたです!

薫風自南来くんぷうじなんらい」の意味、日本語訳、使われる時期などについて、原典のエピソードにも遡り解説した記事です。

薫風自南来は、お茶の世界の掛軸として使われることが多い禅語ですので、茶道をしている方は見たことがある方も多いのではないでしょうか。

この記事を読み終えることで、薫風自南来とは何か、原典のエピソードから日本語訳、意味の取り方・解釈まで、一通り知っていただけるはずです!

それでは早速見ていきましょう!

スポンサーリンク

「薫風自南来」の現代語訳

「薫風自南来」の現代語訳は、書き下し文が「薫風南より来たる」となり、下のようになります。

「爽やかな風が南から吹いてくる」

「薫風」=爽やかな南風

「自」=〜から

「来」=来る

「薫風自南来」の時期

「薫風」には、木々の間を吹いてきて、若葉の香りを運んでくる風という意味合いがあります。

ですので、「薫風自南来」の時期については、茶道の掛軸としては、初夏の5月に掛けられることが多いです。

手紙での時候の挨拶としても、「風薫る五月」という表現もありますね

さて、そんな「薫風自南来」の禅語の意味を解釈するために、まずは原典を見ていきましょう。

「薫風自南来」の原典

「薫風自南来」の由来として以下、2つ挙げています。
言葉の原典をたどれば最初のものに当たるのですが、禅語の解釈としては後のものの方が重要です。

文宗皇帝・柳公権による詩句

「薫風自南来」の語は、最初、唐の皇帝・文宗(在位827〜840)の起句を、政治家兼文人・柳公権が受けた詩句が元になります。

人皆苦炎熱
我愛夏日長
薫風自南来
殿閣生微涼

人は皆炎熱に苦しむ
我れ夏日の長きを愛す
薫風南より来たり
殿閣微涼を生ず

前半の二句が文宗皇帝、後半二句が柳公権によるものです。

皇帝は、「みな夏の暑さを苦しむが、私は夏の日が長いことを愛す」と詠います。

それに対して柳公権は、「爽やかな風が南から吹いてきて、宮殿内はわずかな涼しささえ生じる」と答えます。

皇帝の詩句には、自らは広々と涼しい宮殿に住み、人民が夏の暑さに苦しむ気持ちがわからない印象を感じますが、
柳公権の答えには、遠回しに諌めるような印象も受けるのですが、どうでしょうか。

この詩の内容を、200年後の詩人・蘇東坡が「為政者の思い上がりの詩」と批判したことも、有名な出来事です

「薫風自南来」の原典は、以上のようになりますが、禅語としての解釈を考えるときには、ここの内容は考慮しなくて構いません。

「薫風自南来」を解釈するには、次に紹介する、禅の世界で有名な圜悟克勤の説法が重要です。

圜悟克勤の説法

以下、『碧巌録へきがんろく』という禅の書物に載る、圜悟克勤えんごこくごん(1063ー1135)が説法で話した内容です。

ある僧が雲門禅師に尋ねました
「悟りの境地とはどのようなものか」
雲門禅師は答えました
「東山水上行」
(東の山が水上を流れて行く)

この言葉に対して
私(話し手の圜悟)はこう付け足そう
「薫風自南来 殿閣生微涼」

雲門禅師(864ー948)は、高名な禅僧です。上の説法を聞いて大慧だいえ禅師(1089ー1163)は悟られたという逸話があり、そのため、禅語としてよく知られているのです。

「薫風自南来」の意味

「薫風自南来」の意味を、由来の説法の内容を受けてどのように解釈することができるか、見ていきます。

雲門禅師の伝えた「悟りの境地」

「悟りの境地とはどのようなものか」と聞かれ、雲門禅師が答えた「東山水上行とうざんすいじょうこう

この「東山水上行」も禅語としてよく知られています

東の山が水の上を流れていってしまう。

山は動かないものですから、現実にはありえないことなのですが、悟りの境地を表す言葉として使われたものです。

ですから、ここから、悟りの境地がどういったものと雲門禅師が言っているか、が分かります。

山は誰でも「動かないもの」と思っているものですが、「動くもの」「動かないもの」と分けて考える枠さえ脱した境地が、悟りの境地と雲門禅師は言っているのです。

仏教の世界では、物事を例えば「好き」「嫌い」など、分けて考えることから不幸が生まれると考えます。

「好き」「嫌い」や「動く」「動かない」など、物事を分けて考える人の習性のことを、「分別ふんべつといいます

ですから、悟りの境地とは、分別を超えた境地のことでもあり、雲門禅師は、「動く」「動かない」という分別さえ超えた境地を悟りの境地として示したのです。

圜悟克勤禅師の「薫風自南来 殿閣生微涼」の意味

その雲門禅師の「東山水上行」に付け足された、圜悟克勤禅師の「薫風自南来 殿閣生微涼」。

これは、悟りの境地がどういったものかを示すのに付け加えられたものです

つまり、「東山水上行」に表される、分別を乗り越えた境地というのは、すなわち、下のようなものです。

そうした余分なものが、風に吹かれたようにすっかり無くなり、何事もそのままに受け入れることができるような境地

このことを「薫風自南来 殿閣生微涼」の言葉により示したのです。

禅語「薫風自南来」の意味

ですから、「薫風自南来」の意味としては、まず現代語訳そのままの、「爽やかな風が南から吹いてくる」という、初夏の頃の気候を表す意味合いがあります。

さらに禅語として由来の意味から取ると、「風が吹いて、無駄なものがすっかりなくなったような境地」を示す、心の状態を表す禅的な意味合いがあります。

ですから、「薫風自南来」の言葉には、季節を感じさせてくれる力と、見る者に心の内を見返させる力とがあります

まとめ

ということで、「薫風自南来」についてまとめますと、以下のようになります。

訳すと「爽やかな風は南から吹いてくる」で、初夏の気候を表す

原典は、文宗皇帝・柳公権による詩句だが、圜悟克勤の説法で使われた用法の方が重要

禅語としては、「風が吹いて無駄なものがなくなったような境地(悟りの境地)」を示す

「薫風自南来」は、心の内に、余計な拘りや感情など積もっていないか、自分のことを振り返ることに気づかせてくれる言葉です・

以上です。

この記事が、薫風自南来とは何か、調べているみなさまのお役に立ったなら嬉しいです!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

くり返し読みたい禅語 [ 臼井治 ]
楽天ブックス
¥ 1,320(2024/02/14 16:28時点)
タイトルとURLをコピーしました