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茶の湯とは何か、簡単にわかりやすく解説してみました!
茶の湯という文化は珠光により始められましたが、その成り立ちの歴史・初期の姿・精神等を解説しています
また、茶道との違い(茶の湯が洗練されて茶道が生まれたという関係性)も説明していて、その点からも茶の湯とは何かを知っていただけます。
この国独自に洗練されてきた美意識を引き継いでいる「茶の湯」「茶道」は、日本を代表する文化です。
この記事を読み終えることで、そんな茶の湯とは何か、について一通り知っていただけるはずです!
それでは早速見ていきましょう!
「茶の湯」のはじまり
茶の湯のはじまり
この茶の湯という文化が始まった時期は明確ではないのですが、1484年がもっとも古い記録になりますから、この頃には始まっていました
この時始まった「茶の湯」とはどういったものか、次に見ていきます
茶の湯とは?
「茶の湯」というのは、人が集まって抹茶を点てて飲む、今いういわゆるお茶会のことです
抹茶という飲み物自体は、日本には11世紀末には伝わっていたとされていて、それから「茶の湯」が始まるまでの300年ほどの間に、庶民にまで飲まれるほどに広く普及していました
自宅での抹茶の飲用も広まっていて、そんな中、世を離れて過ごす僧・珠光がはじめたのが「茶の湯」でした
以前は珠光は僧から商人への転身したと考えられていましたが、最近の研究では一生を僧として過ごしたと考えられているので、「村田珠光」と姓をつけて呼ぶのは誤りです
自宅でただ抹茶を飲むことと、珠光の始めた「茶の湯」とは何が違うのかというと
次に挙げていく、「客の目の前でお点前すること」「数時間たのしめる構成」「美意識に基づいた茶道具を使うこと」でした
茶の湯の条件①:客の前でお点前すること
それまでは、別室で点てた抹茶を運んできたり、押入れに道具をセッティングしておき、お客さんに背を向ける形で押入れの中の道具を使い点てたりされていました
「茶の湯」では、客と同じ座敷に道具を出してきてお点前し、ともに時間を過ごせるものになりました
茶の湯の条件②:数時間たのしめる構成
「茶の湯」はただ抹茶を一服点てるだけでなく、現在の正式なお茶会でもそうなのですが
基本的に食事が出るもので、それから濃茶、最後に薄茶と、一連のコースのような構成になっていたと考えられます
もともと飲まれていたのは薄茶だけだったのですが、茶の栽培法が改良され、甘みのある抹茶が作れるようになったことから、より濃く点てる濃茶が飲まれ出しました
そうした構成が確立することで、「茶の湯」だけを目的に集まり、たのしむ対象となりました
茶の湯の条件③:美意識に基づいた茶道具
そして最後に、「茶の湯」では、美意識によって選ばれた道具を使ったことでした
茶の湯の美意識は、「冷え」「枯れ」と表現されました
茶の湯最初期の史料・珠光が弟子に宛てた手紙とされる『心の文』において「冷え」「枯れ」と書き表しています
この「冷え」「枯れ」の美意識を基準に、選ばれた道具を使って上の条件でするお茶会を、「茶の湯」といいました
これは、現在のお茶会にまで引き継がれている条件になっています
茶の湯の美意識
現代の茶道にまで受け継がれている、茶の湯の美意識について、以下で詳しく見ていきます。
元々は歌の世界で生まれた美意識
茶の湯の創始者・珠光と同時代に活躍した連歌師に心敬という人物がいました
心敬の歌は、歌の世界に精神的な深みを詠み込み、「冷え寂びた」境地を目指したもので
文芸史の研究者からは、彼の歌は、歌の世界においてもそれまでにない一層の深みに至ったもの、と評価されているほどです
その心敬に見られる美意識と、珠光の残した言葉には近いものがあり、珠光が心敬の美意識に共感し、茶の湯に取り入れたと考えられます
では、そんな茶の湯の美意識とはどういったものか、次に見てみましょう
珠光の残した言葉
珠光が残したとされる、彼の美意識を感じさせられる言葉を2つ紹介します
「冷え」「枯れ」(『心の文』)
「温かい」のではなく、「冷え」
「生命力に溢れる」のではなく、「枯れ」
抽象的で難しい話なのですが、こうしたものが茶の湯にふさわしいと評価しました
「月の雲間のなきは嫌にて候」(『禅凰雑談』)
「雲ひとつない月」でなく、「雲が流れ見え隠れする月」
雲が流れて見える月に感じるハッとする美しさ、雲で隠れた時に思う月の残像の美しさ
ただ雲のない満月とはまた違う美しさを、人は感じるものかもしれません
珠光茶碗に見る「冷え」「枯れ」の美
「冷え」「枯れ」の美意識の理解のために、珠光が愛用したとされているお茶碗を見てみましょう
こういったお茶碗が「珠光茶碗」と呼ばれ、珠光が愛用してたものです。分類としては青磁のお茶碗になります
ご存知の方には、「青磁ってこんなのだっけ?」という感想も出るかと思います。よく知られる青磁は下のようなものですよね
重要文化財の青磁茶碗「馬蝗絆」です。珠光と同時代の将軍・足利義政が所持していました
同じ青磁のお茶碗でも、黄色い青磁茶碗と、綺麗な青の青磁茶碗がありました。この違いはなにかといいますと
黄色い青磁
・庶民用に大量生産されたもの
・技術がかけられず、うまく焼けず黄色い
・ひとつひとつ形や色の違いがある
・安価
青の青磁
・高貴な人のために作られたもの
・最高の技術をもって綺麗な青に
・形も整っていて美しい
・非常に高価
一般の世界では、綺麗な青の青磁茶碗の方が良いものと、誰もが(現代の我々にも)わかるものでしたが
茶の湯の世界では、あえて黄色い青磁茶碗を取り入れ、高い位置に置きました
この青磁茶碗の取捨選択には、「雲のない満月」を避け「冷え」「枯れ」を選ぶ、茶の湯の美意識のあり方が表れているように感じます
このようにして、茶の湯の世界では、世俗の世界とは全く異なる美のヒエラルキーを築いていったのです
茶道と茶の湯の関係性
こうした「茶の湯」が洗練されていくことではじまったのが、「茶道」です
どう洗練されていったか、簡単に説明しますと
この記事で見たように、最初、茶道具を美意識によって選びましたが、千利休の頃まで時代が進むと、その美意識は茶室・露地など空間にまで及ぶようになりました
そして、物・空間に美意識が及んだ後、最後に残った「茶の湯」の構成要素、「人」にもその美の空間にふさわしい振る舞い・所作があるのでは、となりました
「人」までも、「茶の湯」の美にふさわしい振る舞い・所作を身につけるようと修練するようになったこと、これが「茶道」のはじまりです
まとめ
ということで、茶の湯とは何か、についてまとめますと
・茶の湯を始めた人は珠光で、1484年には始まっていました
・茶の湯はいわゆるお茶会のことですが、ただ抹茶を飲むだけでなく、以下の特徴があります
①客の前でお点前すること
②数時間たのしめる構成
③美意識に基づいた茶道具
・茶の湯の美意識は「冷え」「枯れ」といわれるもので、はじめ歌の世界で見つけられた、世俗の美意識とは異なるものです
・人までもが、茶の湯の美にふさわしいように修練するようになったのが、「茶道」のはじまり
茶の湯、そして茶道の美意識は、歌の世界の、この国でもっとも深められた美意識を引き継いだものといえ
世界に日本をアピールすることが必要な現代、この茶道、茶の湯という文化がさらに大切なものになっていくように感じます
以上です!
この記事が、茶の湯という文化について調べているみなさまの、少しでもお役に立ったならば嬉しく思います
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!