『mame-sadou.com』にようこそ、表千家流の茶道講師・やましたです!
茶道の流派の、現存する多くを一覧にまとめています。
茶風・特徴・歴史なども解説しているので、各流派の違いについても知っていただけるはずです。
茶道のはじめ「茶の湯」は、1484年の史料でその存在が確認されています。
それから現在まで続く長い歴史の中で、生まれ育ってきた三千家や武家茶道など、茶道流派の数々をご紹介いたします。
茶道教室を探されている方には、その参考にもなるかもしれません!
では早速見ていきましょう!
三千家
宗旦の三人の子からわかれ始まった、千家の血筋の流派です。
表千家
千利休の孫・宗旦が隠居するに伴い、三男・江岑にその屋敷・不審庵を譲ったことが表千家の始まりで、千家の本家に当たります。1642年から幕末まで紀州徳川家に仕えました。
表千家では、精神から所作に至るまで各面の理想として、「水が流れるように」という表現が使われます。
目に立たず自然であること、おいしいお茶を点てる・いただく合理性に重きが置かれています。
また、細かな一つ一つの所作・作法の意味を探求して、その意味の取り方によって例えば先生方により所作や作法に少し違いが生まれたりと、上から下まで、茶道を探求していこうとする方向性が強いと感じます。
裏千家
利休の孫・宗旦が家督を江岑に譲った際に、同じ敷地内に新たに今日庵など茶室を建てて四男・宗室とともに移り住み、後にそれらの茶室を宗室に譲ったことで成立した流派です。
はじめ加賀藩、その後伊予藩で仕え、徳島などにも出向きました。
茶道を世界に広めていこう、という精神を強くもち、初心者がはじめやすいシステム作りや、学校茶道部などにも力を入れています。
実際現在の茶道流派の中でも、構成員の数が最も多いのは裏千家です。
これは、11代の玄々斎が、三河藩奥殿藩主の五男であり養子にきたので、その辺りで武家の風も合わさったからなのかもしれません
武者小路千家
利休の孫・宗旦の次男・宗守は一度養子に出ていたのですが、後にかえってきて武者小路千家が始まりました。
高松藩の茶道指南役を務めました。
一つ一つの所作など見ると表千家と違う部分は見つかるのですが、その所作の裏に見える精神というものは、表千家と近いものを感じます。
作法や所作は、自然さ、合理性に重きを置いたものです。
三千家のなかで最も自然な型です。
三千家に関連の茶道流派
三千家を生んだ千利休の孫・宗旦の系譜の流派と、三千家関連の流派をまとめました。
宗旦の系譜
千宗旦の弟子筋の流派。現存する2つの流派を紹介しています。
宗徧流
宗旦四天王の山田宗遍に始まる流派です。
宗徧は、宗旦から、利休以来の不審庵、自らの隠居の今日庵の号を使うことを許されたほど高く評価された人物です。
三河吉田藩の小笠原氏に仕えました(後に武蔵に転封)。江戸でも茶室を構えて多くの門人を集めました。現在家元は鎌倉市にあります。
庸軒流
宗旦四天王の藤村庸軒に始まる流派です。本家の系譜は早くに絶えてしまいましたが、門人の系譜の藤村正員派・近藤柳可派・比喜多宗積派とあります。
三千家の系譜
久田流
久田家は茶家の一つです。4代に二男あり、高倉久田家と両替町久田家に分かれました。
高倉久田家は表千家と縁が深く、過去にも、家元に跡継ぎがないときには久田家から養子を迎えたりと、支えてきました。
両替町久田家は久田流として、主に東海地方に広がりました。
松尾流
表千家6代覚々斎の弟子・松尾宗二から始まった流派です。
宗二は、覚々斎から派遣されて名古屋で指導し、また、京都でも普及に務めました。
2代からは尾張藩の御用を務め、現在も名古屋に家元があります。
江戸千家流
表千家の門人・川上不白に始まる流派です。
不白は、表千家7代・如心斎や裏千家8代・又玄斎らとともに七事式の制定に関わるなど重きを成した人物です。
江戸で普及に務め、代々、新宮家の茶頭や水戸徳川家の茶道師範を務め、現在も家元は東京にあります。
千利休の系譜の茶道流派
千利休の教えを受け継ぐ茶道流派です。
利休の弟弟子の茶道流派
千利休の弟弟子を始祖とする茶道流派です。
薮内流
初代は、千利休の弟弟子で、古田織部の娘婿である、薮内剣中です。家元は京都にあります。
利休の風に加え、織部の武家の風が取り入れられ、また、江戸時代においても武家との関わりが強かったからでしょうか。
古儀を大切に伝えてきた流派です。
利休の弟子筋の流派
千利休の弟子筋を始祖とする茶道流派です。
遠州流
千利休の弟子・古田織部の弟子に当たる大名・小堀遠州に始まる流派です。武家茶道です。
小堀遠州の美意識は「綺麗さび」といわれていて、それは所作にも感じることができます。
作事に優れ、現在も遠州作と言われる茶室や庭園が多く残され、彼の美意識に触れることができます。
上田宗箇流
千利休、古田織部に学んだ上田宗箇を祖とする武家茶道の流派です。宗箇が家老を務めた、芸州浅野家に伝わり、現在も家元は広島にあります。
三斎流
千利休の弟子・細川三斎に学んだ一尾伊織が始めた流派です。主に松江藩で伝えられ、現在の家元も島根にあります。
肥後古流
細川氏の熊本藩に伝わった流派です。古市宗庵が指南して始まりました。
千利休の弟子・円乗坊宗円(唯一極真台子および盆点法を伝えられた唯一の人物と伝承)が、その全てを伝えたとされるのが、古市宗庵です。
細川三斎、息子の熊本藩主・忠利は、千利休のやり方を変えることのないよう命じ、古市宗庵を茶道役として召し抱えました。
有楽流
織田信長の弟・織田有楽を祖とする流派です。有楽の四男・長政の大和芝村藩、五男・尚長の大和柳本藩で伝えられてきました。
この流れをくむ貞置流・尾州有楽流があります
利休の子・道安の系譜の茶道流派
千利休の子・道安の教えを受け継ぐ茶道流派です。
石州流
千道安の門人・桑山宗仙の弟子・片桐石州から始まる武家茶道の流派です。
石州は4代将軍・家綱の茶道指南役となり、以後石州流は、江戸時代を通して、幕府の茶道として全国に広まりました。
現在宗家は奈良にありますが、石州流茶道宗家(大和郡山市)と茶道石州流宗家(奈良市)に分派しています。
関連性の大小はあるが、各地に関係する派、庶派も多く存在します。(新石州流・宗猿系・片桐宗猿派・藤林流・大口派・清水派・野村派・怡渓派・石州庵など)
鎮信流
肥前平戸藩主・松浦鎮信が、片桐石州に学び、様々な流儀を研究して始めた流派です。(石州流鎮信派ともいいます)
代々藩内で伝えられてきましたが、明治維新を迎えた際の藩主・松浦詮が、東京で自ら指導を始め、現在も家元は関東、神奈川県藤沢市にあります。
不昧流
松江藩主・松平不昧が、石州流の皆伝を受けた上に、様々な流派の研究を重ね始まった流派です。(石州流不昧派ともいいます)
藩のあった松江、関東地方にも広まりました。
宗和流
金森宗和を祖とする流派です。金森宗和は、父・可重(千道安の弟子)に茶を学びつつ、当時の古田織部や小堀遠州の茶風の影響も受け、さらに公家との交流を重ねる中で、独自の茶風を築きました。
宗和の子・七之助が加賀に仕えたので、宗和流は加賀で長く伝えられてきましたが、現在は中心は東京にうつっているようです。
利休以前の系譜の流派
千利休以前に起源を持つ茶道流派です。
小笠原流古流
茶の湯の祖・珠光の弟子・古市播磨の後裔・古市了和が、豊前小倉藩主・小笠原家に召し抱えられたことにより始まった流派です。
千利休より古い起源であるということで、「古流」とされています。
まとめ
ということで、今回の記事では、多くある茶道流派についてまとめました。
所作や考え、仕官した藩による伝わった地域性などにも各流派の特徴が見られました。
茶道には本当に多くの流派があり、それぞれの流派がそれぞれの流儀を伝えています。そうしたことをお伝えできていれば幸いです。
茶道教室をお探しの方には、気になる流派を見つけていただけていれば嬉しいです。