『mame-sadou.com』にようこそ、表千家流の茶道講師・やましたです!
表千家の不審庵という言葉について、意味とその由来を解説した記事です。
不審庵は表千家に関係する言葉で、茶室や流派組織そのものを指すのですが、
その由来は、表千家流の始まりに関わるもので、非常に重要な概念なのです。
この記事を読み終えることで、そんな表千家を象徴する言葉・不審庵とは何か、一通り知っていただけるはずです!
では早速見ていきましょう!
不審庵について
「ふしんあん」と読み、正式には「不審菴」と書きますが、一般には「庵」で書かれ意味も変わらないので、この記事では「不審庵」で統一しています
「不審庵」の意味するところ
茶室「不審庵」
「不審庵」はまず第一に、表千家・家元の敷地内にある三畳台目の茶室のことです
上の画像が、現在の「不審庵」内部になります
後ほど解説するのですが、茶室「不審庵」は表千家に代々伝わってきましたが、火災などで度々焼失し、現在のものは1914年に再建されたものです
侘び寂びの美を伝える、利休好みの草庵茶室の代表とされています
家元の屋敷全体
「不審庵」は、上の三畳台目の茶室のみでなく、家元の屋敷全体をも指します
表千家組織全体
「不審庵」はさらに、「不審庵表千家」というように、表千家組織全体も指します
同じように、裏千家は「今日庵裏千家」、武者小路千家は「官休庵武者小路千家」というようにも呼びます
「不審庵」の由来
「不審庵」は以上のように、表千家の象徴的な号なのですが、その理由は茶室「不審庵」の重要性にあります
茶室「不審庵」のはじまり
初代・利休が茶室を建てた際に、その庵号(茶室の名前)を禅の師匠・古渓宗陳に求めたのですが
その際に与えられたのが「不審花開今日春」の語で、頭の二文字をとって、「不審庵」を茶室の号としました
利休が建てた「不審庵」の茶室は四畳半だったと考えられています
「不審花開今日春」は、そのまま意味を取ると、「花が開いたことを不思議に思う、今日は春である」となります
春になると花が咲くのは毎年のことなのですが、そうした当たり前のように見えることもよくよく考えると不思議なもので、
自然の偉大さ、今日この日のかけがえのなさを感じさせられる
「不審花開今日春」の語は、そんな風に解釈できるでしょうか
この利休が建てた「不審庵」の茶室そのものは、利休自刃後取り壊されたのか、後に継がれることはありませんでした
しかし、「不審庵」の号のつく茶室は再び建てられ、利休の精神と共に代々引き継がれていきました
茶室「不審庵」が表千家を象徴する存在に
利休自刃後の騒動が収まり、京都に帰った二代・少庵は、茶室を建て、その茶室に「不審庵」の号をつけました
この少庵の茶室も残らなかったのですが、また後に、三代・宗旦が建てた一畳半の茶室が、「不審庵」の号を継ぎました
その一畳半の茶室「不審庵」を、四代・江岑が家督と共に受け継いだ際に宗旦に相談し、三畳台目の茶室に改築されました
以後火災での消失などもありましたが、形としてはその頃から引き継いだものになっています
四代・江岑の改築後、2度ほどですかね、焼失していて、現在の茶室「不審庵」は1914年に再建されたものです
茶室「不審庵」にはこうした経緯がありますので、千家の家督を継ぐ・利休の精神を継ぐ意味があり
「不審庵」の号は表千家を象徴するものになっているのです
まとめ
ということで、「不審庵」とは何か、についてまとめますと
・「不審庵」の語は、次の事柄を表します
①表千家内に代々伝わる茶室
②表千家・家元の屋敷全体
③表千家組織全体
・茶室「不審庵」は、初代・利休が建てたのが始めで、形は当初から変わりつつも、代々引き継がれてきました
・茶室「不審庵」は、千家の家督を継ぐ・利休の精神を継ぐ、という意味があり、表千家の象徴となっています
表千家で茶道をしていく中でよく耳にする「不審庵」ですが、これだけ知っていれば十二分です!
以上です!
この記事が、「不審庵」について調べているみなさまの、少しでもお役に立ったならば嬉しく思います
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!