『同門(四月号)』表千家流家元・猶有斎宗匠のことば【新型コロナに関して】

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『mame-sadou.com』にようこそ、表千家流の茶道講師・やましたです!

先日届いた、『同門 二〇二〇年四月号』の「お家元宗匠のことば」、胸に響きました。

表千家の方に、また、流派に関わらず、茶道を愛好されている方に、
少しでも目にしていただければと思い、ここに抜粋して書き残させていただきます。

「共有する」ということ

                   猶有斎 千宗左

先月号で述べた同門会全国大会熊本大会ですが、新型コロナウイルスの感染拡大にともない、やむなくとりやめといたしました。

大会の開催に向けて長い期間を費やしてご尽力いただいた熊本県支部の皆さま、また参会を予定されていた皆さまには大変残念な結果となってしまいましたが、社会の情勢を鑑みたうえでの苦渋の判断であったことをご理解いただければと思います。

今回の熊本大会は熊本地震からの復興を祈念してのものでもありました。大会はとりやめになってしまいましたが、熊本の復興を願う気持ちは常に抱いていたいものだと思っています。

(中略)

このほかにもこの春の行事については中止や延期になるものが多数あります。淋しい思いもいたしますが、社会的責任という観点からもやむを得ないことでしょう。

「同じ釜の飯を食う」という言葉があります。これは長い時間一緒に生活し、苦楽を共にするなかで信頼関係が築かれ、親しい間柄になることを表した言葉です。

ここでの「釜の飯」はあくまでも比喩として使われているのでしょうが、「同じ」ものを共有することで深まる関係性というのはたしかにあるのでしょう。

茶の湯において一碗の濃茶を飲みまわすこと、また茶事の八寸で、亭主と客が盃のやり取りをする「千鳥の盃」などは、まさに同じものを共有することで亭主と客、また客同士の関係性がさらに深まるというものです。

それ以前に、同じ空間を共有するなかで亭主と客が心を通い合わせるということは、茶の湯の楽しみの根本にあるものといえるでしょう。

今回、そうした「共有する」ということに対しての不安や懸念が広がってしまったことは残念でなりません。

茶の湯の楽しみというものは平穏な日常の上に成り立つものだということを改めて感じます。一日も早くこうした事態が収束に向かい、お茶の楽しみを多くの皆さまと共有することができる日常が戻ることを願ってやみません。

『同門 二〇二〇年四月号』

茶道というのは、多くの方にとって、あくまで趣味でしかありません。

ですが、茶道のお稽古があることで、

忙しい毎日を送る中で、ホッと一息つける時間が持てたり

苦しい時・辛い時、何か気が楽になる気づきがあったり

茶道をされている方には、茶道のお稽古の時間を大切なもの、と思っている方多いはずです。

うちの教室は開いてはいますが、かなり制限を加えた形をとっています。

大きなお茶会などは全て中止となっていますし、通っている茶道教室がお休みになっている方もいるでしょう。

みなさんにとって大切な大切な茶道を、心置きなく元通りに楽しめる時間が、また来ることを願っています。

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